ACTIVITIES基金の活動報告
東浦ライオンズクラブ主催「小児がんを考える講演会」 activities
2019年3月2日(土)、東浦ライオンズクラブが主催する「小児がんを考える講演会」にゲストスピーカーとして招かれ、小島理事長が講演を行いました。
東浦ライオンズクラブには、一昨年、悪性リンパ腫との闘病の末、17歳の若さでこの世を去った川澄敬くんのお母様が所属されており、彼女の積極的な働きかけによりこの講演が実現しました。
基金のスローガンである「最高の医療をすべての子どもたちに」をテーマに掲げ、敬くんのお母様・長屋知里さんからは「小児がん患者の家族の立場から~それに向き合ってきた経験と命の尊さについて」、そして、小島理事長による「最高の医療をすべての子どもたちに」の講演へと続きました。
級友たちからの亡くなった敬君とご家族への思いやり
3月2日(土)は、偶然にも生前敬くんが在籍していた東海高校の卒業式でした。
長屋さんは講演会の前に卒業式に臨まれ、「敬もきっと式場に来て同級生と共に様々な思い出を心に巡らせていたのではないかと思います。答辞を読んだ同級生が、敬のことに触れてくれ、まだ仲間でいさせてくれていることがとても嬉しかったです。」と話されました。
小児がん患者をもつ家族の現実
長屋さんが幼い頃にお兄様を白血病で亡くされた経験もお話しくださいました。お兄様が白血病の診断を受けた時からお兄様中心の生活が始まり、夜中に目を覚ますと両親が互いを責め合い言い争う声を耳にし、我慢を強いられる生活へと変わりました。お兄様が亡くなるまでの間には、本人だけでなく、兄弟姉妹にも大きな負担や忍耐が課せられ、その両者に挟まれる親、家族全員が心身ともに疲弊しながらも向き合い戦っていかなければならず、当時まだ5歳の幼い長屋さんにとってそれはあまりに過酷な現実だったことでしょう。子どもががんになるということは、家族の生活を一変させてしまう、そしてそれはある日突然どこの家庭にも起こりうることなのです。
敬君の病状
敬くんが悪性リンパ腫を発症したのは15歳の時でした。敬くんは、自分の病気を前向きに捉え、治療に向き合い、誰を責めるでもなく、自暴自棄になることもなく、ただひたすら治ることを信じていました。普通に生きていれば、今日、同級生と共に卒業式を迎え、それまでの日々も友人たちと悩みや喜びを分かち合いながら有意義な学生生活を送っていたはずでした。そんな普通の日常が敬くんにとっては奇跡でしかありませんでした。再発、再燃を繰り返し、なかなか造血幹細胞移植にたどり着くことが出来ず、敬くんが不安をお母様にぶつけ、それに精いっぱい応えたこと、その後寛解を迎え自宅に帰って来た敬くんは夏休み明けに復学すべく準備をしていた最中に再発してしまったこと、を淡々と静かな口調で語り続けました。その口調はとても静かで落ち着いていましたが、それが却って聴くものの心に深い悲しみとして伝わりました。
最後の家族旅行―メイクアウィッシュでのクルージング
メイクアウィッシュの支援によりクルーズ旅行に出かけたのが最後の家族旅行になり、退院から再発まではわずか1ヶ月ということからも、敬くんやご家族はこの短い期間に喜びと絶望を味わい、心身共に疲弊していく様子が伝わってきました。
思慮深く、自分のことより他人を気遣う敬くんは最後まで凛とし、入院している他の子どもたちを思いやり、周りへの感謝を忘れませんでした。その様子を近くで見守り、支え続けてきたお母様やご家族皆様の願いは届くことなく、敬くんは最後の旅行から1か月後に、静かに息を引き取りました。
敬君が語った願い事
敬くんは自分が高額な医療を受けられるのは、社会の皆様に支えられていることを知っていました。そして、治ったら社会に還元したいと言っていました。他にも生きたかった未来、夢見た未来は、お姉ちゃんのように大学生になったら一人暮らしがしたい、彼女とドライブがしたい、夜景のきれいなレストランでシャンパンを飲みながら彼女にプロポーズがしたい、亡くなる前日には、来週発売のゲームがしたかったな、彼女を作りたかったな、スターウォーズを9作目まで全部見たかったなど、どれも健康な者にとっては特別なことではありませんが、敬くんにとっては特別なことで叶わないことでした。健康で幸せな毎日を送るということは、当たり前のことではないのです。
今この瞬間も病気で闘っている子どもたちがおり、抗がん剤の副作用で苦しい日々を過ごしています。彼らの願いもまた、健康な者にとっては当たり前になった日常、公園に行きたい、遠く離れた家族と過ごしたい、好きなものを食べたい、などです。
長屋さんは敬くんから、自分を苦しめていることさえも許す心、人はあらゆるものに支えられて生きていること、そしてそのことに感謝する心を持つこと、日々の生活、日常は当たり前ではなく奇跡であることを教わりました。
今日はそんな思いを伝えられたこと、これをきっかけに小児がんと闘っている子どもたちに心を寄せていただくきっかけとなったことに感謝いたします、と締めくくられました。
続いて小島理事長の登壇となりました
冒頭、小島理事長は、敬くんが本当に良い子だったこと、助けることが出来ず残念だったこと、そして、闘病中にも関わらず、自分の医療費についても社会の皆様からの支援により支えられていることをきちんと理解して、まわりに感謝の意を伝える小児がん患者さんには出会ったことがないと、敬くんへの思いを触れられました。
そして、敬くんが社会に還元したいと言った、医療費、国民皆保険の話へと進んでいきました。
名古屋小児がん基金を設立するに至った思い
医療はすべての子どもに平等でありたい」「最高の医療をすべての子どもたちに」をモットーに掲げ、小児がんに対する新規診断法や治療法の開発、安価に患者さんに提供することを目指し研究をしている後輩たちのサポートをするために、そして名古屋の子どもだけに留まらず、発展途上国の子どもたちに対しても支援をしていきたいという思いから、3年前に名古屋小児がん基金を立ち上げました。
日本の皆保険制度の危機
つい最近薬事承認された白血病の治療薬は、1回に使う1瓶が5千万円という高額な薬価がつきました。幸い日本は、国民皆保険制度によって子どもは無料で医療を受けられます。 しかし、このような高額な薬の使用が増えることにより日本の保険制度がいつまで耐えられるのか、崩壊してしまうのではないかと心配しています。
発展途上国の小児がん患者への援助
名古屋大学がタイのチュラロンコン大学からの依頼を受け、技術提携の協定を結びました。アカデミア同士ではお金のやり取りはなく、無償での技術提携です。タイの子どもたちが助かればこんな嬉しいことはありません。
日本の小児急性リンパ性白血病の治療成績には改善の余地がある。
日本では北は北海道から南は沖縄まで小児白血病の治療法は統一されています。しかし、 世界から見た日本の急性リンパ性白血病の治療成績は、OECD22ヶ国の中で下から3番目という残念な結果が発表されました。そして、この15年間治療成績が上がっておらず、一方、台湾や韓国が急激な向上をみせています。日本は欧米に比べ、5年生存率が10%劣っており、日本の成績の停滞には何か原因があるのではないかと考えています。
名古屋大学は全国に15ある小児がん拠点病院の中で,最も高い評価が得られています。小児がんの治療成績の向上をめざして、基礎研究、橋渡し研究、診療を一体となって行う難治性小児がんに対する治療チームを作ることが、私たちに課せられた責務と考えています。
CAR-T療法の開発を思い立ったエピソード
今から6年程前に、CAR-T療法で命が救われた白血病の少女のニュースが全米で報道されました。時を同じく、私が主治医であった乳児白血病の患者さんが、移植をおこなったのにもかかわらず再発してしまい為す術がないという状況でした。患者さんのご両親が、移植後に再発した白血病患者さんがCAR-T療法で助かったというニュースを知って、是非この治療を受けさせたいとの申し出がありました。アメリカの病院に交渉したところ、1億5千万円という前金の用意を提示されました。ご両親の友人らが「救う会」を立ち上げ、募金を募って治療に必要な資金を準備することができました。しかし、先方の都合で、患者さんは渡航できずに、まもなく、天国に旅立ってしまいました。その時、日本で、しかも名古屋大学でこの治療を開発しようと決意しました。
最近、このCAR-T療法が薬事承認されました。難治性白血病に対する有効な治療薬が増えることは、たいへん喜ばしいことですが、5000万円を超える薬価になりそうだと聞くとわが国の保険制度への影響を考えてしまいます。現在、名古屋大学では、もっと安価にこの治療法を提供することを目指して、独自の製法による臨床試験を開始しています。
最後に、国民皆保険を守り、患者さんが医療費の心配をせず治療を受けられるような制度、仕組みづくりをしていくことが大事だと考えます。との言葉で小島理事長は講演を締めくられました。
長屋さんの患者の家族からの思い、小島理事長の医師としての思い、その両面から当事者にしかわからない多くの現実、また知られざる真実や情報を得ることが出来た講演となり、聴講されたみなさまは様々な思いを胸に帰られたのではないでしょうか。
東浦ライオンズクラブのみなさま、ご聴講いただいたみなさま、ありがとうございました。
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