LECTUREDr.小島の小児がん講座

講師紹介:小島勢二(医学博士/名古屋大学名誉教授/ 名古屋小児がん基金理事長) lecture

2020.11.2

小島 勢二/ 医学博士/名古屋大学名誉教授/ 名古屋小児がん基金理事長

小島 勢二

   医学博士
   名古屋大学名誉教授
   名古屋小児がん基金理事長

経歴


今回、小児がんの講座を始めるにあたって、小児科医として私が歩んだ40年を振り返ってみたいと思います。

厚生連加茂病院(豊田厚生病院)

私は1976年に名古屋大学医学部を卒業しましたが、初期研修の1年間を含めて愛知県豊田市にある厚生連加茂病院(現在は豊田厚生病院に改称)に5年間一般小児科医として勤務しました。当時、加茂病院には、名古屋大学の第1内科から故山田英雄先生と堀田知光先生(前国立がん研究センター理事長)とが血液疾患のコンサルトにみえており、小児の血液疾患についても、相談にのっていただけました。

私が担当していた急性単球性白血病の再発例の治療法をコンサルトしたところ、その患者さんに一卵性双生児の兄弟がいたことから、名古屋大学での骨髄移植を勧められました。東海地区で骨髄移植を受けた最初の小児患者さんでした。1980年、今から40年前のことです。

そのようなこともあって、専門分野を血液腫瘍学に定め、1981年に静岡県立こども病院に移り、本格的に、血液腫瘍専門医としての1歩を踏み出しました。

静岡県立こども病院

静岡県立こども病院

急性リンパ性白血病やウイルムス腫瘍などの一部の固形がんに生存例が出始めた頃で、まだまだ小児がんの告知は死の宣告に等しいものでした。不幸な転帰をとった患者さんを見送る無念さと、小児がんに立ち向かう医学の非力さに絶望感を抱いていたことを思い出します。

名古屋第一赤十字病院

名古屋第一赤十字病院

1984年に名古屋第一赤十字病院に無菌室を備えた小児医療センターが設立され、医局の要請があったことから、静岡県立こども病院から名古屋第一赤十字病院に移動しました。

当時は、骨髄移植の黎明期で、国内でも骨髄移植が可能な施設は限られており、全国から難治性白血病や再生不良性貧血の患者さんが紹介されてきました。同種骨髄移植は、白血病再発例に対する最期の治療として、非寛解期の患者さんにおこなわれていましたが、ことごとく短期間に再発して死亡していました。急性白血病の患者さんで、骨髄移植による生存例を経験するには、寛解期の患者さんに移植が適用されるようになるまで、数年間の年月が必要でした。

しかし、1990年代に入り、絶対的予後不良といわれていたいくつかの小児がんが次々に克服されるのを目撃できたことは、小児がん専門医への道を選んだ私にとってはたいへん励みとなりました。この時代に治療法が確立された小児がんのなかにはT細胞型急性リンパ性白血病やバーキットリンパ腫、肝芽腫などがあります。

自らが、治療法の確立に寄与できた小児がんもありました。ダウン症の患者さんによく白血病を合併することは知られていましたが、治療研究の対象となることもなく、多くの患者さんは、短期間に亡くなっていました。日赤時代に続けて白血病を合併したダウン症の患者さんの担当医となったことから、開発されたばかりのモノクローナル抗体を用いて、病型分類を試みました。

ペルオキシダーゼ染色が陰性であることから、それまでは、ダウン症に合併した白血病はリンパ性と考えられていましたが、驚いたことに4歳以下に発症する場合は、全例が巨核芽球性白血病であることがわかりました。この知見が得られるまでは、リンパ性白血病に準じた治療がおこなわれていましたが、全例が再発して長期生存例はみられませんでした。

そこで、強度を減弱した骨髄性白血病に準じた治療法を考案して治療したところ、10例全例に長期生存が得られました。その後、私が考案した治療法を骨子に、全国の施設が参加する共同研究がおこなわれましたが、同じように優れた治療効果がみられました。これらの成果は、Blood, Leukemia, Journal of Clinical Oncologyなどの専門誌に掲載され、国際的にも高く評価されました。

名古屋大学医学部附属病院

名古屋大学医学部附属病院

日赤時代に発表した研究が評価され、1999年に名古屋大学大学小児科教授に就任しました。大学では、小児がん患者の診療とともに、多くの仲間を得て、小児がんや難治性血液病の新しい治療法の開発に従事することになりました。

教授就任後間もない頃に、文部科学省の大型研究費を取得してセルプロセッシングセンターを整備することができました。このおかげで、造血幹細胞移植の合併症対策として、ウイルス特異的細胞障害性T細胞や骨髄間葉系幹細胞の臨床応用を全国でも最初に実現化することができました。

このような先行研究が、後のCAR-T細胞治療法の開発を進める礎となりました。また、2011年に取得した厚生労働省の大型予算で、次世代シークエンサーによる網羅的遺伝子研究が進められるようになったことも追い風になりました。

このような研究と診療のアクテイビテイとが評価され、2013年に名古屋大学医学部附属病院は、全国でもトップの評価点で小児がん拠点病院に指定され、愛知県内の小児がん診療の中心となっています。

私自身は、2016年3月末に名古屋大学を定年退職し、名古屋小児がん基金を設立して、後輩の研究サポートと県内の小児がん患者さんの治療成績の向上をめざして活動しています。

この40年間に小児がんの治療はめざましく進歩しましたが、とはいっても、小児がんのすべてが克服されたわけではありません。現在でも、小児がんの患者さんの5人にひとりは、不幸な転帰を迎えます。長期生存者の増加とともに晩期障害など新たな問題も生じています。

ただ、どこか私自身が楽観的なのは、あるいはよりよい未来を信じることができるのは、この40年間の進歩を目撃し、自らがその進歩に貢献した自負があるからです。

このような理由で、この小児がん講座では、小児がんに関する基本的な情報にとどまらず、自身のこれまでの経験や名古屋大学の最新の研究成果を交えた講義をおこないたいと思います。




名古屋小児がん基金・ゴールドリボン
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